2024.06.04更新
100年以上の歴史を誇る窯。その当代が語る、女性陶芸家としての想いとは
窯元
法勝寺焼 松花窯
鳥取県で明治時代より続く法勝寺焼の窯元・松花窯。その当代として活躍されている安藤愉理さん。「あんまり動じない性格」と自らを形容する彼女の明朗快活さからは、男性職のイメージが強い陶芸界でたくましく生きる秘訣のようなものも感じた。女性陶芸家として、また、当代として活躍される中での葛藤や悩み、そして今後の展望を伺った。
家業を継いでほしいと言われた当時のお気持ちを聞かせてください。
安藤愉理さん(以下、安藤):家業を継いでほしいと言われたのは中学生の頃ですね。不安だったり、嫌だなって思うことは特になくって。誰かが継ぐんだろうなって言うのが当たり前の環境で育ってきたので、家業を継ぐことについて否定する気持ちはまったくありませんでした。
女性が窯を継ぐということに対して、周囲からはどんな反応がありましたか?
安藤:嫌なことは言われましたね(笑)。陶芸は男性の職業というイメージもあるし、現に陶芸家には男性が多いので、女性が陶芸なんてできるの?というニュアンスのことを言われることはありました。まあもともと動じない性格なのであんまり気にしなかったですけど(笑)。
学生時代は芸術系の大学に進学されたとのことですが、当時、鳥取県の「伝統産業人材育成県外派遣制度」をご活用されたと伺いました。この制度があって助かったことなどをお聞かせください。
安藤:両親の負担が減ることが一番大きいですね。短大卒業後に専攻科というところがあるんですけど、専攻科まで進むことができたのはやはりこの制度があったおかげだと思います。金銭面での支援をいただけたのは助かりましたね。バックアップしてもらったというか。
「伝統」と「個性」の狭間で思うこと。
卒業後は窯を継ぎ、当代としてご活躍されていますが“窯を背負う者”として大変だったことはありますか。
安藤:長く続く窯だと、“窯の色”っていうのがあるんですよ。この窯はこういうのを作る、っていうイメージと言いますか。なので、あんまり自分の代で自分色に染めてしまうと周りからの批判がすごく大きいんです。昔からこの窯を知っている人からは特に。
過去の記事でも“新しさや個性を大事にして作っている”と拝見しました。
安藤:実際は窯の色を求める声も多いですが、そういう批判の声を振り切って、“私の色”をなんとか推し進めてるって感じですね。父も私と同じような考え方をしていて、「伝統を守るべき!」といったタイプではなく、新しいものを取り入れていくタイプだったので、そこはまだ助かりましたね。身近なところに味方がいる安心感というか。
父が個性を大切にするつくり方をしてきて、さらにその姿をずっと横で見ていたから私も同じ感じになったとも言えますね。
新しさを出すということで、dotto.さん(鳥取県のデザイン会社 dotto. design office様)とのコラボも始めたということでしょうか。
安藤:そうですね。dotto. さんがいるとWeb周りやSNSのことなど、自分では手が回らないところも対応してくれるから助かってます。引っ張っていってもらっているイメージですね。やはり、作りながらあれこれ管理するのは大変ですからね(笑)
「女性だからって負けたくない」
幼いころから陶芸に触れてきて、現在も精力的にご活躍されていますが、陶芸を嫌いになったことはないのでしょうか。
安藤:それはあります(笑)。嫌だなっていうか、どうしても逃げられない部分でもあるので。学生の頃は美容系の仕事に興味を持ったこともあったんですけどそこは諦めて(笑)。でも昔から一貫して、そこまで陶芸を嫌いになったことはないですね。強いて言うなら汚れることがちょっと嫌、っていうくらいですかね(笑)。
女性陶芸家特有の苦労や、男性陶芸家には理解してもらいにくいことがあれば教えてください。
安藤:陶芸家とひとくくりに言っても、男性の陶芸家は女性を女性と思っていないなと思う時がありますね。差別とかそういう問題ではなくて、男性と同じ力があると思って接してきてしまうんですよね。だから、女の子たちも負けてられるか!っていう気持ちでやってみるんですけど、体格・体力の差は大きいと感じます。
陶芸は土とか釉薬とか重さのあるものを扱うので体力勝負になるんですよね。それに、女性はやはり結婚とかするとどうしても陶芸から距離を置いてしまうときがくるので。家庭があるから、という理由で結婚をきっかけに陶芸から離れてしまう人もたくさん見てきましたし、同じ陶芸家同士で結婚したとしても、やはり家庭に入ることになるので、その点では女性は不利になるかなって思いますね。
松花窯様として、今課題に感じていることはありますか。
安藤:今は、土も釉薬も薪もすべて自家製でおこなっているので、その面では少し時間がかかりすぎているなと感じます。ただ、楽をしてしまうと松花窯の伝統から逸れてしまうので、その辺は課題ではあるものの、変えるのが難しい点かなと思います。
悩みも変化も受け止めて「ずっと続けてほしい」
それでは今後やってみたいことをお聞かせください。
安藤:新しい土を見つけたいですね。いま使っている釉薬に合う土を見つけたいと思ってます。土ってたくさんあって、自分が今いる場所で採った土でも使えるものもあるので。土で焼き上がりが変わるので、もっと土の研究をしていい土を探し当てたいという目標はあります。
業界の活性化のために今思っていることを教えてください。
安藤:もっと陶芸教室とかに足を運んでほしいですね。うつわとかマグカップとかお皿とかって、日々使ってるものだからこそ興味を持ってほしいなって思います。最近では陶芸教室に行く若い人も多いので嬉しいなと感じつつ、まだやはり「陶芸」と聞くと、ハードルが高いと思われがちなのを残念にも思います。窯に行きにくいとか、窯に行くと頑固なおじいちゃんが出てきそうとか(笑)。未だにそういうイメージが変わってないなって思うので、そこを私は変えていけたらいいなって思っています。私もよく陶芸教室を開きますが、女性である私ですら「意外と優しかった」なんて言われますからね(笑)。もっと陶芸に興味を持ってくれるとありがたいですね。
最後に、陶芸家として独り立ちを目指している女性に向けてメッセージをお願いいたします。
安藤:「ずっと続ける」ということが大事だと思います。さっきも話したようにライフステージの変化で離れてしまうこともあると思うし、それだけではなくて、途中で悩むこともあると思います。売れない、とか、デザインを変えたほうがいいのかなとか悩む時期が絶対に来ると思うけど、ぜひそこを乗り越えてほしいですね。この葛藤を乗り越えてやっていくのが一番いいと思います。私も未だに、同じ焼き方で焼いたはずなのにこれまでと同じ色にならないことが多々ありますが、それもまた新しい発見としてデータを蓄積しています。
たぶん、私が決めつけすぎてるんですよね。この焼き方ならこうなるだろう。このデザインなら売れるだろう。みたいな。なので、決めつけすぎずに肩の力を抜いて楽しんで制作してもらったほうがいいものができあがると思います。
作品紹介
プロフィール
窯元
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法勝寺焼 松花窯Hosshojiyaki Shokagama
国立公園大山の山麓米子市より12キロメートルほど南へ行った山間で法勝寺川の清流を前にして煙を上げている窯場が法勝寺焼であります。法勝寺焼は明治の末年・36年に初代安藤秀太郎が現在の場所に築窯し、法勝寺村(旧名)の地名による法勝寺の銘印を付し、茶碗・花器など等を制作発表して広く名を知られるようになりました。 初代秀太郎は当時の旧家(屋号花屋)安藤屋に生まれ、松浦久次朗の弟子として陶業を習い、出雲・伯耆・石州の名窯を遍歴して長所を学び研究して帰郷し、伝統の技法に独特の創意を盛った現在の法勝寺焼の完成に一生を捧げました。 二代目嘉章、三代晨男、四代真澄、そして現在は五代愉理が法勝寺焼の陶法を受け継ぎ、新しい現代感覚と生活様式に適合する作品に日夜挑戦しています。陶土、釉薬はすべて古くより当時の原料で自家製生産し、時には薪に至るまで自製しています。
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