2024.06.18更新
「波長が合う人にアピールできる作品を」
陶芸家
アサ佳
美濃焼の産地、岐阜県土岐市に自宅兼工房を持つ新進気鋭の陶芸家、アサ佳さん。水面の波紋にインスピレーションを得たシリーズ「ミナモノモアレ」などで注目を集めている。また、イタリアの美術館へ作品を寄贈したり、「Miss Grand Japan」のグランプリトロフィーを制作したり、他の工芸品とコラボしたりと活躍の場を広げている。 美濃焼には、志野や織部といった伝統のある芸術品から大量生産品まで、実に様々な作品が揃っているが、アサ佳さんの作風は他のどの作品にも似ていない独創性がある。その発想の源をうかがった。
「アサ佳」という作家名と繊細な作風からてっきり女性だと思っていました。男性の方だったんですね。
アサ佳さん(以下 アサ佳) :よく言われます(笑)。この作家名で呼ばれると、自然と気持ちがアーティストモードに切り替わるんですよね。
自宅の横に工房があるので、夜まで作品作りをすることもあり、オンオフがほとんど無いような状況ですし、自分自身、特にオンオフを意識していないので、せめて名前くらいは…と思ったのです。
陶芸の世界を目指すことになったきっかけはなんだったのでしょうか。
アサ佳 :中学の入学式の日でした。担任の先生が、「君たち、これからはどんどん仕事がなくなっていくぞ」と。インターネットというものが少しずつ認知され始めたばかりの頃です。「弁護士も税理士も、先生という職業もなくなっていくかもしれないぞ」と言われまして。その時は(そんなものかな…?)と思っていたんですけれど、それを目の当たりにしたのがちょうど1年後の1999年。東京証券取引所の「場立ち」と言われる人たちがいなくなったんですよ。
それまでは6時のニュースなどで「今日の株価は…」と言っている後ろの映像…ワンフロアに人がぎっしりいて、手のサインでいくらいくらってやっているのを毎日のように見ていたのに、ある日全くいなくなった。代わりに電光掲示板が出てきて…。あれを見た瞬間にぞっとしたんですよ。(あ、本当に仕事って無くなるんだ)って。
先生の仰ったことは、これかと。
アサ佳 :職業ってちゃんと選ばないと、時代に左右されて無くなるものなんだなって気づいたんです。安定していると思っている仕事すらなくなる可能性があるんだと。その頃から、将来就くなら普遍性がある仕事、IT技術が進んでいっても左右されない仕事がいいなって思うようになりました。
初めて土に触れたときから手にも心にもしっくり馴染んだ
陶芸との出逢いは?
アサ佳 :二十歳くらいの頃です。電車に乗っていてふと見えた広告に陶芸教室って見えまして。(あ…陶芸か、ちょっとやってみようかな)って思ったのが始まりでした。
最初からしっくりきたんですよね。土の手触りだったり、焼きあがっていく工程の面白さだったり。また、制作の過程で出る土の削りカスや、失敗してしまったものであっても、もう一度水に戻せば作り直せる。そういったことも無駄が無いように感じられて。
陶芸を始めてすぐに、陶芸でやっていこうと決めました。
大学を卒業後一度就職されたんですよね。
アサ佳 :陶芸家になると決めていたので、いきなりこの世界に入っても良かったのですが、漠然とした不安があったので、とりあえず一回社会に出てみよう、3年間だけ働いてみようと思いました。お金も貯めなくてはならないし、社会人としての経験もあった方がいいなと思ったのです。
その間も陶芸教室は通っていました。教室はカルチャーセンターのようなものでしたが、先生は本格的に作家活動をしている方だったので、僕の想いをしっかり理解してくれて、本気でやりたいなら…と岐阜の研究所を紹介してくれたんです。
多治見市陶磁器意匠研究所…自治体が運営している陶芸職人を育成する機関です。建設会社を辞めた2011年から2年間勉強しました。
意外でした。陶芸の世界って、師匠に弟子入りし、衣食住をともにして何年間も修行するというイメージがあったんですが。
アサ佳 :そういうところもあります。師匠の作品が凄く好きだ。自分もそういう作品を作りたい…という人だったら弟子入りという形がいいと思います。でも僕は焼き物全般を学びたかった。いろんな製法であったり、釉薬の基礎知識であったり、そういうことをしっかり学びたかったので、市の育成機関を選びました。
手で持った時に、より立体感が感じられる作品を作りたい
アサ佳さんの作風は現代的でとてもスタイリッシュですよね。
アサ佳:陶芸をやり始めた頃は“土もの“と呼ばれるようなごつごつとゆがみがあるようなものも作っていたのですが、あまり良くなかったんですよね。
僕が育った町は東京のベッドタウンのような場所で、土と触れるのは学校のグラウンドくらい。遊んでいたおもちゃもカラフルな原色のプラスチック製のものでした。そんな僕には、土の荒々しい感じが合わなかったんでしょうね。何か違うなと思いながら土を練っていたような感じでした。それで、やっぱり自分の中にあるものを出して行こうと。育った環境とか、しっかりと自分に根付いているものを表現出来るってことが、全ての作家の強みだと思うんですよね。
アサ佳さんの代表シリーズ「ミナモノモアレ」は、構造も独特で一目でアサ佳さんの作品だって分かりますね。
アサ佳:色々創っていますが「ミナモノモアレ」を見て「アサ佳」を知ってもらうことが多いですね。あれは二重構造になっているんです。外側・内側を別々に作って、粘土が柔らかいうちに重ね、その状態で焼いています。外側のレース状の部分はフリーハンドで手で彫っているので、全く同じものは出来ないんです。
絵画と違って焼き物って立体じゃないですか。手で持った時に、より立体感が感じられる作品を作りたい…そう考えて辿りついたのが「ミナモノモアレ」なんです。
写真や遠目だと、白いものに模様が描いてあるようにも見えますよね。でも、手に持った時に「あ、こんなに立体感があったんだ」って。そう感じてもらえるようなものを目指しました。
初期からのシリーズなので、形も年代で少しずつ変わっているんですよ。食器からオブジェまでさまざま手掛けています。
このシリーズの他には、最近ですと「パンタレイ」という背骨のようにタイルを積み上げたスタイルの作品に力を入れています。
使い勝手とカッコ良さの両立は難しい。だからこそ作家作品が光る
使い勝手などは考えるんですか?
アサ佳:多少は考えますが、使い勝手とカッコいいものって、両立が難しいんですよ。使い勝手やどの料理にも合う…を目指しちゃうと量産メーカーの商品になっちゃう。作家っていうのはそこから離れなくてはならないんです。そこが難しいところではありますよね。自分のカッコいいなと思うものを存分に出すと、どうしても使いづらさは出てくるんですよね。
確かに「ミナモノモアレ」は、レースの内側が洗いづらそうですね(笑)
アサ佳:カッコいいと実用性を両立させようと思うと破綻します。でも、そういう意味でも量産の器と個人作家の器っていう棲み分けがあるんだと思います。
量産の器は「一人でも多くの人にいいと思ってもらう」という方向で作っていくんですが、陶芸作家がそれをやると価格で負けてしまう。高くなっちゃいますから。
これは僕が思っていることですが、千人に1人が…いえ1万人に1人でもいいんです。「1万人に1人が必ず買うって方向を目指す」…と。
1万分の1ですか?
凄く低い確率だって思いますよね。でも、日本の人口は1億2000万人なんです。その内の1万人が買ってくれるということなんですよ。1万人が必ず買うってすごくいいことじゃないですか?しかも今の時代は世界に発信することも出来るし。
だから99%の人がこういうのはあまり好きじゃないな…と思っても1%が必ず買うと言ってくれたらそれだけでいいんです。100人に1人が必ず買うというものを作れたら最高ですよ。100人に1人でなくてもいい。もっともっと狭くていい。そこまで人に迎合せずに作品を作っていきたいんです。
自分の好きなことをやっていると、おのずと波長が合う人が見つけてくれるんです。興味がある人はアンテナを張っていますから。そういう人にアピール出来る方向を目指していきたいんです。
作品紹介
プロフィール
陶芸家
つくりて詳細へ
アサ佳Asaka
射込みという量産の技法で制作し、そこから手を加えていくことで量産ではできない作品にしていきます。 埼玉のベッドタウンで育ち、コンクリートとアスファルトの街並み、おもちゃはプラスチックの原色ばかりで土は学校のグラウンドくらいでした。そんな私が陶芸で土物を扱うには違和感があり、磁器や石膏の型を使った制作が自分に腑に落ちました。
続きを読む