2024.06.03更新

伝統を受け継ぎながら新しい作品を生み出す

京都の五条坂に開窯したのが始まりで、250年続く六兵衞窯の八代目清水六兵衞さん。大学では建築を学び、作品は図面にあわせて正確に土の板を切り、結合させて作られる。焼成によるゆがみやへたりを意図的に造形に取り入れて、造形性を持った器物を中心に作品を生み出す。作品づくりでは空間を意識しているという清水さんに、作品へのこだわりや今後の展望などをうかがった。

「清水六兵衞は代が変わると作風が変わる」

清水さんが陶芸を始めた頃からのご経歴をお聞かせください。

清水六兵衞さん(以下、清水):私は大学卒業後に当時の職業訓練校でろくろを1年間、さらに京都市工業試験場で釉薬(ゆうやく)を1年間学びました。その後、本格的に制作活動をはじめ、六兵衞窯は私が40歳ぐらいの時に先代から引き継ぎました。

伝統ある会社を継承されて、どのような思いを持っていますか?

清水:私で清水六兵衞は8代目になります。初代が1771年に修行先から独立したのがはじまりで、会社組織にしたのは6代目です。会社の仕事と、個人の作家としての制作をしていました。私としては、大きな変化を起こすつもりはなく「代々続いてきた流れを途切れさせてはいけない」と感じていました。

先代からの教えで、大切にされているものはありますか?

清水:7代目である父が「個人の活動が会社のためになる」と言っていたので、私が引き継いでからもその教えを胸に、個人の作品づくりには注力していますね。 代々受け継ぐような窯はひとつのスタイルが確立していて、それを継承していくのが基本だと思うんです。しかし「清水六兵衞」は、3代目あたりから代が変わると作風もガラッと変わるのが特徴です。うちの場合は、各々の代で自身の作風を確立しなければならないという考えがあったと思います。6代目や7代目からは作品について詳細に引き継がれるのではなく、私の自由にやらせたいという意図が伝わってきていましたね。
6代清水六兵衞作 古稀彩秋映花瓶
8代清水六兵衞作 輝白釉刻線花器

「六兵衞窯の作品では懐かしさを感じてほしい」

六兵衞窯では、どのような作品を作ってきましたか?

清水:もともとは日常使いの器や煎茶器・茶器のほか、縁起物の大黒さんや恵比寿さんなどの置物も作っていました。最近では、香立てや箸置きといった作品も作っています。
狗子香立、香皿

仔犬や猫など動物のデザインの作品はどのように生まれたのでしょうか?

清水:4〜5代目の頃に「遊陶園(ゆうとうえん)」という研究団体で、新しい焼き物のデザインを考える機会があったようです。そのときのメンバーである日本画家「神坂雪佳」の犬の絵をピックアップしてお皿にすることになりました。 それがきっかけとなって、猫や干支の動物をお皿や置き物のデザインとして取り入れるようになりました。ほかにも琳派系の流水のデザインを取り入れて器に落とし込んでいる作品もあります。
狗子皿

六兵衞窯の作品について教えてください。

清水:最先端のモダンなデザインではなく、日常的に使ってもらえるようなちょっと懐かしいイメージの作品づくりをしています。京都ならではのデザインやスタイルで、ニーズにふさわしいものをつくることを意識していますね。ただ、時代が変わると求められるものも変わるため、形に特徴を持たせたり、装飾としての筋が入ったようなデザインだったり、そういった内容にシフトはしています。

作品はどのようなシーンで使ってほしいですか?

清水:使い手には、自由に使ってほしいですね。日常的な器としてであったり、インテリアとして飾ったりするような使い方は昔から変わりませんが、むしろ作り手としてはどんな風に使われているのか非常に興味があります。作品名は皿や花瓶としてつけているけれど、きっと用途は食材を入れたり、花を挿したりするだけではないんですよね。たとえば筆なんかを立てることもあっていいと思います。そんな風に思いもよらない、いろんな使い方をしてほしいです。

「清水六兵衞としての作品は空間を意識している」

個人の作品でのこだわりを教えてください。

清水:個人の作品は、本当に自分の好きなように作っています。大きな作品だと正面からだけではなく、四方や内側からも見られるようなものを作っています。小さいもので焼き物の内側の空間を覗き込んで「自分が中に入り込んだらどうなるのか」と感じさせるような作品もあります。 また、作品そのものの空間だけではなくて、周りとの関わり合いも工夫しています。今作品に使っている白い釉薬は鏡のように周りが映り込みます。たとえば辺りが赤い壁であれば、作品自体が赤くなるんです。作品が置かれる場所の状況が反映されて一体感が生まれます。私個人の作品は空間がひとつのポイントですね。子どもの頃から鍾乳洞や大きな迷路など、囲まれた空間がとても好きでした。空間に対して興味があったから、大学で建築を勉強したのかもしれません。
兵庫陶芸美術館での展示

大学で建築を?

清水:もともとは父が建築を学んでいたため、日常的に建築の話を聞いていました。図面を書くのも好きで、大学進学のときに建築を学ぶことにしました。当時は美術や陶芸を学ぼうとは思わなかったんです。大学での学びが私の作風にかなり影響しているので、芸術大学の陶芸コースに入っていたら今の作風とは違っていたかもしれません(笑)。

「伝統を残しながらコラボレーションで新しいスタイルを」

清水焼の魅力はなんだと思いますか?

清水:一言で表現すると「多様性」ですね。1つのものを大量に生産するのではなく、さまざまな種類のものを作っていくスタイルだと思っています。京都は、古い時代であればお公家さんやお寺さんも含め、消費者からの依頼を受けて焼き物を作りました。消費者のニーズをうまく取り入れながら対応、変化していると思います。融通性が効いているからこそ対応しやすかったんでしょうね。 あとは陶芸だけでなく染織や木工、日本画家など工芸に関わる人が周りにいたので、刺激を与え合える環境だったんだと思います。結果的にいろんなスタイルの作品が生まれていて、いろんな分野とコラボしているのが魅力ですね。

今後の展望をお聞かせいただけますか?

清水:息子(清水宏章様)たちが考えているのは今までの六兵衞窯とは違うスタイルで、新しいブランドを構築しようとしています。それがどんな形で実現するのかは相談しながら進めているところみたいです。六兵衞窯が昔から続けてきたものにも魅力はあります。今の時代に受け入れられるような部分は残しつつ、新しいスタイルを開発してもらいたいですね。昔のものを切り捨てるのではなく、うまく取捨選択しながら新しいものを導き出すことが伝統につながると思います。 六兵衞窯は初代から受け継がれてきた流れを守ってきて、その当主である作家がそれぞれの代で特色のある作品を生み出しました。それが六兵衞窯にフィードバックされることでまた新しいものが生まれるというサイクルです。窯と当主の作品は完全な別物ではなく、車の両輪のように関わり合いながら作品を作り出してきました。この関係が今後も新しいものを展開していくきっかけになると思っています。

さまざまな分野とのコラボレーションが楽しみですね。

清水:昔は京都という町で工芸の作家との交流が生まれました。現在は息子がお菓子屋さんと共同で作品づくりなどもしています。作り手だけで考えていてもなかなか新しい発想が出てきません。今後いろんな分野の方たち、たとえば料理人やパティシエさんらとコラボレーションして考えていくことも大切ですね。器の使い方が変わると作る器も変わってくるような気がしています。
flat plate   器:清水宏章 菓子:金谷亘