2024.02.22更新

「やっぱり一番好きな職業なんだと思います」“笠間焼の匠”が語る焼き物の魅力とその半生

生まれ故郷の神奈川を離れ、笠間の地で50年以上にわたって陶芸と向き合う陶芸家、寺本守さん。“現代の笠間焼の匠”と言われながらも、程よく肩の力を抜いて陶芸と向き合っているというスタイルが印象的だった。大切に育てたお弟子さんの現在の活躍を嬉しそうに語る寺本さんからは、愛弟子に対する愛情が感じられ、その人柄の良さも伺えた。焼き物を始めるきっかけになった民芸運動との出会いから、現在、そしてこれからの陶芸界に対する想いなどをうかがった。

「ちょっと夢が壊れちゃって」理想と現実の違いを経て見つけた自分の“色”

陶芸を始めたきっかけになったものや事柄があればお聞かせください。

寺本守さん(以下、寺本):22歳の頃、当時おこなわれていたクラフト運動に共鳴したのがきっかけで焼物の学校に入りました。元々は日本のクラフト運動の中で最も著名な方の一人、有田にある白山陶苑の森正洋さんのもとで学びたかったのですが、それが叶わず笠間に来ました。

笠間に来られてからのことをお聞かせください。

寺本:最初は笠間で「小林製陶小研究室」という、焼き物のデザインの部門を後輩と一緒に立ち上げました。しかし、いざ作品を作り始めると、試作品通りに作れない下請け工場に嫌気がさしてしまって、そこでちょっと夢が壊れてしまいました(笑) そこで改めて自分に足りない部分を見つめ直した際に、上絵の技術を身に付ける必要性を感じ、上絵に特徴のある九谷焼を学びに行くことを決めました。
燃え盛る寺本陶房様の窯

そこで松本佐一先生と出会われたということでしょうか。

寺本:そうですね。紹介していただいて。その時は松本先生のもとには日展や若手の作家さんが6~7人ほど師事していましたね。オブジェなどの新しいものや好きなものを作る実験工房のようなものもありましたよ。

高名な先生のもとにいながら、自分らしく好きなものを作ることができる環境は素敵ですね。

寺本:本業の九谷焼は昔から先生が抱えている職人さんたちが生産されていたので、僕らみたいな24,25くらいの人たちは別のスタジオで、新しいものや先生がイメージしたものを作り上げる、ということをやっていました。

「欲しいと思ったら作りたくなる性格」その行動力の源とは。

そうして上絵を学んだ後、再び笠間に戻ってこられたということで。登り窯を築かれたのもこのタイミングでしょうか?

寺本:笠間で開窯したのが27歳くらいの時で、最初に作ったのは穴窯ですね。最初に穴窯を作ったのですが、穴窯は熱効率が悪いので改良を重ねていった結果、登り窯が出来ていたという感じです。 そもそも窯を作ろうと思ったのも衝動的でしたね(笑)。あるとき穴窯で焼いているところを見せてもらったことがあったのですが、その炎の勢いと薪で焚いてる姿にえらく感動して、その瞬間に、穴窯を作りたいと思ったんです。もうわけも分からずにその人に話を聞いて、信楽にも行って学びました。何でも自分でやりたくなっちゃう性格なもので(笑)。
薪をくべる寺本さん

年月を重ねた今だからこそできる、原点回帰。

過去の取材記事で、「生きざまがベースの作風だ」と語っていらっしゃるのを拝見しました。開窯から現在まで、ご自身ではどのように作風が変わったと感じますか?

寺本:いつも2〜3年ごとに違うものを作ろうと決めていたのですが、年齢を重ねていくと、アイデアが浮かびにくくなっているのを感じます。だから作風を変えるサイクルも徐々に長くなっていますね。 焼き物をされる方って、同じ青磁だとか白磁だとかを一生追求していくというタイプと、新しい仕事をどんどん作っていくタイプと、様々な方がいらっしゃいます。僕の場合はどちらかというと、同じものを作りたくないという想いがあったのですが、年を取るにつれて注文に追われたりして、同じものを作ってる自分がいますね。今は銀彩をメインにしているけど、それももう辞めたくて(笑)。また最初の、初めて炎を見たときの感動みたいなのに戻りたいなって思ってます。 長い間年数を重ねた分、きっと彫るものもいい形ができるようになったんじゃないかなと思って。焚き方は単純に薪で焚くだけ。やっぱりシンプル故に一番造形力が必要だから、それに戻りたいなというのが本心ですね。昔とは違う焼き方もできるんじゃないかなって。

確かにそれは楽しみですね。

寺本:ただ難しいのは、3昼夜とか4昼夜とか焼くでしょ?窯を。そうなると1人では焚けないので、誰かに頼む必要があるじゃないですか。そこが問題ですね。陶芸とかに興味を持っている若者が少ないから、手伝ってくれる人もなかなかいないんじゃないかなって。1回でも窯焚きとかに参加なさると、ほとんどの方がハマっちゃうと思うんですけどね。

込み入ったことをお聞きしますが、寺本陶房様の跡取りというのはいらっしゃるのでしょうか。

寺本:ないですね。僕で終わりです。こんなおっきな仕事場、もったいないとは思うけどね。

窯も4つあるほどの大きな窯場だと伺っていますが。

寺本:1、2、3、、、7つ。今は7つですね。
銀彩の作品

陶芸仲間の間でも、跡取りのことが話題になることはありますか?

寺本:話題にはなるけど、解決策を見つけられていないのが実情です。笠間焼は他の産地に比べて僕みたいによそから来た方が多いから、地元で代々継承し続けるのが難しくて、自分の代で終わってしまうのを覚悟している人が多いです。なので、話題にはなってもあんまり深い話にはならないですね。 うちも何人も弟子がいたけど、みんな巣立っていきました。基本的には好きにしていいよってスタンスなもので(笑)。中には超有名になってる人もいるんですよ(笑)。植木鉢作家の田島浩司って言うんですけど。彼が書いた本でも僕の名前を出してくれているみたいです。

「もっとラフに。もっと気楽に。」次世代の陶芸家へ望むこと。

50年近く寺本さんを虜にしている焼き物の魅力は、やはり「焼く瞬間」なのでしょうか。

寺本:そうですね。ただ、やっぱり一番好きな職業なんだろうなと思います。天職とまでは言いませんが、こんなに楽な商売はないなと(笑)。その反面、「これだけ一生懸命作ったのになんで割れちゃうんだ!」という時もありますし、新しい発見ができて気持ちが高揚する時もあるので・・・結構感情的には忙しい部分もあるかもしれません。

試行錯誤の上、ですね。

寺本:あとは、焼き物って、最後は窯で焼かなきゃいけないのがネックですね。彫刻や絵画みたいに、自分が最後に手を入れた形で終わらないで、1回窯に入れなきゃいけないからそこが面倒かなと(笑)。 せっかくこんないい形が出来てるのに、焼いたら形が崩れたり曲がったりすることも多々あります。もちろん事前にそういうところも計算して作っているのですが、ミスがあったりちょっとした温度の調整でダメになったりすることもあるので、焼いてよかったって思う時と、窯がなければいいのにって思う時とありますよ。

そこで挫折しそうになったり、辞めたいと思ったことはないのでしょうか?

寺本:あんまりないですね。まあいいやって感じ(笑)。多少のミスや誤算は気にしないね。焼き物とは結構ラフに向き合ってますよ(笑)。

型にとらわれすぎないのも今後は大事になるかもしれないですね。

寺本:32、か33の時にアメリカに陶芸を教えに行ったとき、主婦の方たちが手びねりで作ったものをあちこちで売っているのをみかけたんですよ。アメリカだと窯場も薬も手軽に買えますからね。当時はいろいろ思ったりしたけれど、今思えばあれくらいの気楽さが焼き物をするにはちょうどいいのかもしれないですね。
作陶中の寺本さん

それでは最後に、陶芸を学んでいる・陶芸に興味がある若者へ向けてメッセージをお願いいたします。

寺本:我々の時代は、どこどこの公募展で受選していないと作家じゃないとか言われてましたが、これからの時代は反対に、公募展自体がつぶれていっちゃうんじゃないかという心配はしています。だからこそ、公募展に出して入選したとか受賞したとかが関係ない時代になるのではないかと。つまり、いかにインターネットとかSNSを活用できるかにかかってくるんじゃないかなと思います。ネットを使って世に出ていく人もいっぱいいるだろうし、古典的な陶芸作家というかたちはだんだん少なくなるんじゃないかな。 なので、若い人たちには自由に作りたいもの作って、自由な新しい発表の仕方をどんどん学んでいってほしいですね。昔は百貨店でも、どこどこ展のなんとかって賞をもらってないと個展はできませんってありましたけど、これからはもう売れっ子なら誰でもどうぞって感じになるんじゃないかと思いますし。個性や若さを生かして今後の陶芸界を盛り上げていってもらえると嬉しいですね。