2024.06.03更新

「400年以上続いてきた有田焼の伝統文化を守りたい」

1804年に創業され、江戸の世から220年の長きに渡り受け継がれてきた有田焼の窯元「弥左ヱ門窯」。廃業の危機などを幾度も乗り越え、現七代目に引き継がれ、今新たな有田焼の世界をつくりあげている。 「現代の生活空間にも合う有田焼」をコンセプトに立ち上げられた新ブランド「アリタポーセリンラボ」が提案するのは、伝統的な有田焼の良さを継承し、よりモダンでスタイリッシュな作品だ。 今回は七代目弥左ヱ門の松本哲さんに、有田焼や弥左ヱ門窯への思い、「アリタポーセリンラボ」についてうかがった。

日本の磁器発祥の地で220年の伝統を受け継ぐ「弥左ヱ門窯」

はじめに、弥左ヱ門窯についてご紹介をお願いします。

松本哲さん(以下、松本):弥左ヱ門窯は、1804年に初代弥左ヱ門が創業した有田焼の窯元です。2024年に創業220周年を迎えます。創業当時、鍋島藩では「窯焼名代札」の交付を受けた窯元が窯焼きを営んでいましたが、弥左ヱ門窯もその一つです。 有田焼は17世紀はじめ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、鍋島藩主が朝鮮陶工を日本に連れ帰り、磁器の原材料である陶石を有田で発見したのが始まりとされています。伊万里港から出荷していたため、伊万里焼と呼ばれていました。 現在、弥左ヱ門窯では食器を中心に、美術品・特注品・OEMや他社とのコラボレーション商品の作成・販売の他、弥左ヱ門窯の食器で地元食材を楽しめるカフェの運営もしています。

では、弥左ヱ門窯の歴史をお聞かせいただけますか。

松本:今の弥左ヱ門窯の基礎ができたのは五代目の時です。それまでは、二代目で廃業に追い込まれ、三代目では窯焼きの仕事から離れ「共益株式会社(後の共益銀行)」を設立し財を成します。弥左ヱ門窯を再建させる夢を抱いていた四代目が、磁器販売会社、有田物産合資会社を設立した紆余曲折の経緯があります。 五代目が会社を継承し「ゴールドイマリ」というブランド名で北米・欧州向けの輸出を手がけるようになり、大量の輸出を行い成功を収めました。そして昭和32年、取引先の生産設備一式を買い取り、念願の「弥左ヱ門窯」を再建させました。 六代目の時に、円が変動相場制に変更され、それまで通りの輸出ができなくなり、販売先を国内に移しますが、取引の大半は有田の卸商社、小売商人になり、約20億円の借金がある状態でした。 私は窯元を継ぐつもりでいました。しかし、一度外で働いてみたいと思い銀行に就職をしましたが、3年で実家に呼び戻され、借金を整理するために民事再生を行い、七代目を継ぐことになりました。
ゴールドイマリ

「有田焼をなくすわけにはいかない」七代弥左ヱ門の決意

7代目を継承する際は、どのような思いでしたか。

松本:そのころの有田焼の会社は、どこも最盛期の1/10くらいまで売り上げが落ち込んでいました。私が弥左ヱ門窯を廃業すると有田焼がなくなるかもしれないという危機感がありました。せっかく400年以上続いた伝統文化を、次に繋げたいと思ったんです。事業というより伝統を守りたいという思いが強かったですね。有田焼は機械ではなく職人の手作りです。その技術を残したいとの思いで七代目を継承しました。

そこからどのように事業を再建したのでしょうか。

松本:まず、工場を集約するために、多くの従業員にやめてもらわなければなりませんでした。私が窯元の運営で大切にしているのは、五代目の「有田に雇用を生み出す」という思いです。先々代は有田に働く場所を作り、人を集め発展につなげていくことにこだわっていました。ですから従業員を減らすことは、私にとって大変厳しく、辛いことでした。 また、従来の流通方法を見直す必要があると考えました。有田焼の業界には、地元の問屋にしか卸せないという不文律があったんです。問屋には、定価よりもだいぶ安い値段でしか卸せませんでしたから、ここを変えないと事業はうまくいきません。利益が取れるように流通を変えなければと思いました。

具体的にはどのようなことをされましたか。

松本:まず、多くの人に有田焼を受け入れてもらうことを考えました。従来の有田焼の豪華絢爛で派手なものは、昔の日本家屋にはよく合うけれど、今の住環境に置くと違和感があると感じていたんです。そこで、現代の生活にマッチする新たな有田焼を開発し「アリタポーセリンラボ」というブランドとして販売することにしました。新ブランドの流通は、問屋を通さずに直接販売することとし、従来の有田焼は問屋に卸すことで、今までより利益を確保できるようになりました。今では、有田の窯元の多くが直接販売をするようになっています。
アリタポーセリンラボの作品①

現代の日常にマッチするモダンで新しい有田焼を広げたい

アリタポーセリンラボの作品と伝統的な有田焼の違いを教えてください。

松本:従来の有田焼は、つるっとした白磁が特徴ですが、アリタポーセリンラボの作品は釉薬を刷毛で薄く塗り、マットな質感を出しています。そのマットな地の上に、絵付けしたりゴールドやプラチナを塗ったりして釉薬をかけることでモダンなイメージを出し、作品として統一感を生み出しています。他の窯では取り入れていない技法です。 絵柄は、昔から引き継がれている有田焼の個性的なデザインをうまく生かしていますが、色は2〜3色に抑え、今の住環境に合うように工夫しています。また、春にはピンク、夏には薄いブルーなど、今まで有田焼では使われなかった色も開発して取り入れています。
アリタポーセリンラボの作品①
アリタポーセリンラボの作品②
さらに、耐酸・耐アルカリのプラチナを使い、食洗器に対応できるようにしたり、電子レンジに使えるゴールドを使ったり、日常使いもできるようにしています。
ゴールドを使用したアリタポーセリンラボの作品

他社とのコラボレーションもされていますね。 

松本:はい。フランスの香水ブランド「ゲラン」とのコラボが一番印象に残っています。佐賀県の有田焼創業400年事業として、2016年にフランスの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」への出店をきっかけに、ゲラン社とのコラボが実現し、香水「ミツコ」のスペシャルボトルを手掛けました。弥左ヱ門窯の名前も出しましたので、そこから「ラデュレ」など他の化粧品メーカーとのコラボが増えました。その他に、ホテルやレストラン、食品メーカーなどともコラボしています。
OEMであれば、顧客のやりたいことを忠実に再現すればよいのですが、コラボの場合はお互いの強みを生かし、有田焼らしさ・弥左ヱ門窯らしさを出したいですね。 今後も、異業種とのコラボの仕事を増やしていきたいと考えています。
フランスの香水ブランド「ゲラン」とのコラボ商品

継続し広めていくために有田焼を代表するブランドを目指して

有田焼の業界での課題や問題については、どのように思われますか。

松本:やはり、業界全体の後継者・人材不足が大きな課題です。小さな窯元は成形や絵付けも外注に頼るところが多く、生地を扱う店なども高齢化しています。20年前は200件程あった窯元は、現在は約半数になり、これからも減っていくでしょう。募集しても人が集まらないのには危機感を覚えます。また、原材料の陶石や絵の具の材料が入手しづらくなっていることも心配の一つです。 弥左ヱ門窯では人手不足解消のため、また作業効率化のために、従来は専門で一つの技術を担うところを、多能工化で生地作りから絵付けまで、皆がすべての工程ができるように進めています。将来的にはただ働くだけでなく、自分の作品を作り販売できるような時間や場所を提供し、有田焼が好きな人が集まるような職場を作りたいと考えています。 また、環境問題にも取り組んでいます。この業界は、どうしてもCO2の排出を避けられません。そこで少しでも環境に配慮した焼き物を実現するため、10年以上前から土の開発を行ってきました。この土は釉薬が練りこまれており、素焼きの必要がなく、CO2排出も生産コストも削減することができます。今後、この土を使用した「aplシリーズ」を広めたいと思います。
aplシリーズの作品

最後に今後の展望をお聞かせください。

松本:有田焼は高級というイメージがありますが、日常で使えるものも多く出ています。オンラインショップでは有田焼の器に入ったプリンやチョコレートの販売などもしています。日本の磁器発祥の地で生まれた伝統文化ですから、ぜひ多くの方に気軽に見ていただきたいです。 その一方で、有田焼をブランド化するために、付加価値のあるアート性の高い特別なものも手がけたいと考えています。 弥左ヱ門窯を広く皆さんに知っていただけるように、有田焼を代表するブランドを目指していきます。