2024.02.20更新

「名誉を保ち永久の利益を図る」有田の名窯 300年を生き抜く戦略

「君子の交わりは、蘭の宝の香りの如し」──中国の古典『易経』の言葉から名付けられた香蘭社。その美しい名のごとく、華やかな色絵や、どこまでも薄く精緻な造形の焼き物は、世界各地の博覧会で金賞を受賞し、日本の美意識と技術を広く知らしめてきた。 一方で、工業製品を明治期から手がけ、さらに近年では半導体用部品で売り上げを伸ばすなど、伝統工芸の枠に留まらない多彩な顔をもつ。窯業界のレジェンドにしてパイオニア、香蘭社を率いる15代深川祐次社長に話を聞いた。

340年の歴史を貫く精神とは?

周囲に蘭の花をあしらった「オーキッドレース」や、美しい瑠璃の「コバルトライン」など、誰もが知る名作を多数生み出してこられた御社の、物作りのDNAとはどんなものでしょうか?

深川祐次さん(以下、深川):弊社は創業が江戸時代の元禄ですから、340年ぐらいになります。明治になり西欧諸国を見てきた人たちが、カンパニーっていう会社組織を学んで帰ってこられた。で、明治政府から、あなた達も会社を組織した方がいいという助言を受け、明治8年に私の高祖父の深川栄左衛門以下4名が出資をして会社を設立しました。4年後に、意見の食い違いで一度解散してしまうんですが、その年に香蘭社の名前を引き継いで単独で興したのが今の香蘭社です。 4人の有志が立ち上げた時からの創業の理念があります。 「製品の品質を精緻にすること」 「形状および画彩は美にすること」 「製造の費用を抑え原価を安くすること」 「名誉を保ち永久の利益を図ること」 この4つです。今でも通用すると思い、私の代からこれを朝礼で唱和して受け継いでいこうとしています。現在でも、品質に関してこれくらいでいいだろうという妥協はしません。よく他社の方に、香蘭社さんの品質管理は検品が厳しいもんねと言われますね。
美術品商品:オーキッドレース皿

長い歴史の中で、存続の危機もあったのでしょうか?

深川:はい、バブル崩壊後、1990年代ですね。百貨店関係の売場が、なかなか売上げが出ないということがありました。それで、当時は製造、販売と様々に会社が分かれて全部で6社ぐらいあったんです。それを2007年に統合して、今の香蘭社という一社にしました。それが今の強みに繋がっています。現在、弊社の焼き物は、企画や製造から販売までを一括して一社内で行っています。商品を企画して、商品にして、実際市場に出るまでを短縮できる。これはもう他にはできないと思ってます。
美術品商品:染錦薔薇八角花瓶

老舗を支える「シロアリ軍団」の逆転劇

美しい食器類のイメージが強いですが、一方で全く違う工業製品も作っておられるんですね。

深川:昔から美術品(食器類)だけではなかなか利益が得られないので、工業製品、電力向けの絶縁碍子(がいし)を国産第1号で作ったり、そういった新しいものに取り組む精神があります。碍子は会社設立より前の明治3年に開発を始めています。その精神のおかげで、今から約50年前、もう一つの事業の柱であるファインセラミックスに進出することができました。現在、売上は、45%が碍子、30%がファインセラミックス、25%が美術品です。ファインセラミックスを始めた1970年代には、厄介者、金食い虫って会社の中では言われていました。弊社のコーポレートカラーがブルーで、作業服もブルーなんですが、ファインセラミックスだけ白い作業着を着てたんです。ですから、当時は「シロアリ軍団」と、家を潰すぞと言われるくらい、なかなか芽が出ませんでした。
碍子製品

ヒットのきっかけのようなものがあったのでしょうか?

深川:ファインセラミックスといっても色んな素材がありまして、金食い虫と言われた時は、色んな素材に手を出していたんです。研究員が10人いたら、10人で一つのことをするんじゃなくて、一人一人が10の素材を追い求めていた。 当時は私は副社長でしたが、素材を一気に絞ろうと。一回絞って、お金と人をつぎ込んだ方がいいよという判断をしました。窒化ホウ素という素材に絞ったのです。この素材は熱に強く、その当時は、鉄鋼メーカーさんが溶鉱炉に使う素材としてご要望を受けて、それに適した熱に強い材料を作っていました。そうしているうちに、熱に強いということで、xEVのインバータ用パワーモジュールやモーター用ベアリングボールを製造する部材として適していることが分かり、ここ5年くらいで急速に弊社のセラミックスの価値が見出されてきました。今後、工場を増設し増産の計画をしています。
ファィンセラミックス製品

陶磁器の最高峰・景徳鎮で際立つクオリティ

美術品の方でも、積極的に海外展開を行っておられますね。

深川:2016年の「有田焼400年」事業で、有田の数社が共同で、ヨーロッパのミラノサローネに出展しました。北米でも、ニューヨークの「NY NOW」という展示会で賞をいただきました。ただ、ビジネスになり得るかというと、今のところきちっとした成功例はないんです。欧米に関しては、どこも二の足を踏んでいるような状態です。 一方、中国の上海や本場・景徳鎮の展示会で手応えを感じました。そこで、昨年の3月に大連に法人を立ち上げ、駐在員が1人、現地の中国の方1人の2人で、中国の市場を開拓しているところです。有田の焼き物は景徳鎮の流れを汲んでいますので、どちらかというと中国人に受け入れられやすい印象です。景徳鎮よりも品質的に良いということをアピールしていきたいです。
中国景徳鎮での展示会(2019年10月)
食器部門でそのほか力を入れているのは、業務用食器です。2021年に、by koranshaという現代のライフスタイルに合わせたデザインの、新しいブランドを立ち上げました。これは一般家庭用ですが、展示会に出してみると業務用としてもいけるという手応えを感じました。ホテルレストランや、オーナーシェフがやられているようなレストラン。少し価格は高くても品質の良いものをという要望に応えられるような商品を、今作り始めています。

これまでの食器類とかなり違ったものになりますか?

深川:作りは同じですが、デザインが少し違う。一般食器は弊社の得意とする花の絵などいろいろ描いていましたが、業務用に至っては、シンプル。色だけで勝負するとか、形状をレリーフでつけるとか。絵は描かないものです。伝統的な技法や柄の商品は引き続き生産しますが、絵付けのできる職人さんが少なくなっているのも事実。その規模に合った生産ラインを作るのも、必要なことだと思っています。
美術品商品:by koransha

職人は怖くない 有田焼の世界へようこそ

やはり人手不足は大きな課題でしょうか?

深川:どこも頭を悩ませています。対策として、3つポイントがあると思っています。1つは、今の若い人に焼き物産業が魅力あるものに映ること。賃金もあるでしょうが、労働環境も大きいと思います。SNSなどを使って、楽しい話題をどんどん上げていこうよと言っています。そして有田の近辺だけではなく、全国から人を集めるようにしようと。そして、外国人の雇用を伸ばすべきだと思います。今、全国的に見れば外国人を雇ってる企業さんはいらっしゃいますが、焼き物業界ではまだまだです。3つ目はやっぱりデジタルです。デジタルの力を借りて生産性を上げていく。人の手を使っていたものを、できるだけ機械に代えていくということです。

技術の継承についてはいかがですか?

深川:一から養成するのはもちろん必要ですが、その前に教える人がいなくなってしまうという現実もあります。そこで、例えば、職人さん集団、我々「職人ギルド」という言い方をしていますが、職人の人材派遣のようなことを提案しています。新人を雇っても、教える人がいないという窯元さんがあれば、そこにベテランの職人さんを派遣して、育成する。零細企業が多いので、みんな同じような悩みを抱えています。さらけ出して、必要な部分は共同でやっていくということですね。 ある時、地元の大学生にインタビューする機会があって。「職人さんをどう思いますか」って聞いたんです。そしたらみんな「職人さんって怖い」って。テレビドラマで出てくる職人さんって、決まって無口で頑固者。あのイメージがあるそうなんです。でも、実際はそうじゃないよって。有田の職人さんは気さくで誰でも話をするし、明るい人が多いよって知ってもらいたい。有田の職人さんを目指そう、有田に行って焼き物を作ろうって、全国の若い方に伝えたいですね。
絵付けをする職人
美術品工場:上絵付の様子